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  Sweet Life?

 

愛猫の死。溢れる後悔。もう一度創作を

 11月13日(日)の早朝、最愛の愛猫が苦しみ、二時間の必死の健闘の後、その命は私の腕の中で尽きました。

 動物病院へ駆け込むも原因不明の脱水症状と、今この瞬間に息絶えてもおかしくないほどの低い心拍数。
 脱水で血液検査すらままならず、皮下注射で水分を自然に吸収してもらうのを待つという処方が精一杯の状態。もうひとつの選択として、お医者様が預かって対応するというものがありましたが、見ず知らずの人々、見知らぬ場所で一人孤独に闘病するのは動物にとっては凄まじい恐怖と不安――「ストレス過多で亡くなってしまう・もしものとき家族が看取れない・本人(猫)が孤独に息絶える可能性」というリスクを伝えられ、自宅に連れ帰ることにしました。
 車の中では、私の腕の中で辛そうにしていながらも必死に息をして胸が上下していました。呼吸も絶えだえです。

「大丈夫だよ」「もうすぐ家に着くよ」「なに大丈夫、にゃんにゃん」とか震えそうになる声を抑えながら、頭を撫でて、背中をなでれば安心するからとなでていました。
 なんとなく、気持ちよさそうに目を細めたような、そんな気がしました。もう、病院にいたときにも悪化して、目が見えなくなっていたようだったというのに。

 病院で、どうやら目が見えなくなったようだと気づきつつ撫でて声をかけていた時、愛猫は私が声をかけるたびにむせていました。
 「けほっ」と。
 喉に何か液体が詰まったかのような、そんな調子で。

 鳴こうとしたのだと、わかりました。
 私が名前を呼んでなでると、そのたびにのどを詰まらせたように「けほっ」と。
 何度も、何度も、そんな調子で。

 私が彼を応援したように、彼もまた私を安心させようと声を出そうとしたのかもしれない。そんなようにさえ、今は思えます。

 そしてようやく自宅について、「家に着いたぞ、ほら、おうちだっ」。上機嫌な感じの声で私は腕の中の愛猫に声をかけて抱き上げ、車から降りて早足で玄関をくぐりました。
 家の中に入って、サンダルの靴を放り出すように脱いで中に入ったとき、一緒にいた父と弟が、腕の中の愛猫が嬉しそうに尻尾を振っていたと、あとで教えてくれました。

 愛猫は体が冷えていて、お医者様も温めてあげてと言っていたので、お日様の当たるところにそっと慎重に寝かせて、頭を撫でて様子を見守っていました。
 ……でも、様子がおかしいのです。

 視覚の反射といった反応がなくなっているとお医者様に聞いたので、そのことについては仕方ないと思いました。
 でも、口を開けたまま、微動だにしません。
 だけれど病院でも、息をしているか不安になるような様子だったので、まだそうなったとは断言できない状況。その時もお医者様に訊いたら、「ちゃんと呼吸しているよ」と言っていましたし。

 だけれど、鼻や開いた口に手を当てても息をしているかどうか、全然わからなくて。
 足の内側をお医者様が触って脈を測っていたので手を入れて探ってみましたが、ぴくりとも反応がなく、温もりもほとんどなくて……。

 それから、二十分以上経ったんでしょうか。

 ずっと判断がつかないまま、撫でて、愛でて、大丈夫だよねと声をかけて、撫でて、額に自分の額をすりつけて、それでお日様のおかげか愛猫の体はどんどん温かくなっていって……やがて、十三年の時を共に過ごし、共に育った最愛の猫が息を引き取ったのだと、理解しました。

 思えば、日なたに愛猫を横たえた時にはすでに事切れていたような感覚がどこかにありました。くちが、開いていたので……。
 そうだとしたら、私の腕の中で最愛の愛猫は息絶えたということになるのでしょう。

 愛猫は、四六時中私のあとをついてくるほど私のことが大好きでした。(ナルシーじゃないよ!)
 ご飯食べるときは私のところに来て、「これ美味しい?」と興味深そうにすぐそばで無言の威圧感を出してきたり、油断してると私の私物にマーキングしようとしたり、風呂に入るときはそんなに心配なのか風呂場の前でずっと待っててくれたり。

 旅行で家を空けるときは、昔なんかはよく夜に寂しそうな(というか悲痛な)声を上げて「アーオ、アーオ!」と鳴いていたらしいです。
 あと私が部屋に閉じこもって宿題とかレポートとかしている時にも、「アーオ!」と私を探しながら鳴いたりとか(笑)

 それに頭も良かったんですよ。
 L字型の取っ手(ドアノブ)の扉を自力で考えて開けたりとか、爪を立てずに窓も開けられるしふすまも開けられます。まるで忍者のよう。

 それでいてシャイで遠慮がちで、私が寝床にいるときなんかはくるくると私の周りを歩き回って、私が起きていると寝ようとしないので寝たふりをするんですけど、勇気が出たときは思い切って私の腕に寄りかかるようにして寝て、勇気が出なかったときは足の間とかほんの少し離れた布団で私を見守るように眠るのです。

 もう愛されすぎて、昔なんかもう一匹猫をもらってきたときに嫉妬して、私にだけ爪で全力で襲いかかったくらいですからね(笑)
 背中と肩に、その時の爪痕があるくらいに(笑)

 思えば本当に、昔は手がつけられなくなりそうなくらいやんちゃでワガママで、ガチの暴れん坊でした。まさに王。むしろ暴君!
 なんという男だ……。

 そんなこんなで、昔はその愛猫を捨てるとか、去勢するとかいう話も出ていましたが、私は絶対嫌だと言い続けて、今日までゆっくりと、そして月日が経つにつれて落ち着いていき、いつも一緒に寝ていたくらい仲良く共に過ごしてきました。
 まるで「昔はやんちゃしたさ」と悟りを開いた仙人みたいな感じですが(笑)

 でも、ですね。
 最近は創作で悩んだり、人生に悩んだり、学校に悩んだりして、家にいるときは部屋に閉じこもりがちになってしまっていたんです。寝るときも、自室に閉じこもって眠ることが多くなりました。

 この習慣は大学のレポートに追われていたことが発端で、工学部で、二学年、三学年と学年が上がるにつれてどんどん難しく、書く量も冗談のように増えて行ったんです。しかも全部手書きなのですよ。気が付けば四十ページ以上手書きとか普通になっていて。
 でもまあ、実験レポートだけならまだ一週間かけて頑張れば自殺願望とか絶望とかでここまで追い詰められたりはしなかったでしょう。

 ええ、他の講義でもレポートや課題がどんどん出されました。
 だいたい手書きで、講義で教えてもらったことだけで解けるような内容ではありませんでした。工学系の教授や先生は苦労した人が多いらしくてですね、我々若造にも“苦労を知りながら”成長して欲しいらしく、だいたいが「ググれカス」の方針なんですね。

 たしかに大学では自ら学ぶことが大切だと、「ググれカス(主に専門書で※重要)」が方針の教授たちが言うことももっともだと思いはするのですが……でも、それをしていたら、いずれどこかで破綻してしまうんですよね。
 完璧に全部やろうと最初はしていたのですが、実験レポートの再提出(考察の解釈が微妙に違う、計算間違い、ページ番号の書き忘れ、教授の字が汚すぎて読めないけどなんか書き直す必要があるらしいとかいろいろ)があったりした週なんかは本当に地獄で。だって再提出の修正+今週の実験レポートとかもあるわけで。

 要領悪いし、結構ドジだったりうっかり屋さんだったり、変なところで楽天家だったりするので、使った式が少し違っていたり、使うべき式がひとつ抜けていて結果がデータと合わなかったり、見ていたデータが一行ズレていたりもわりとあります。救いようのないパターンが原因不明の不調でデータがおかしい時とかですね。実験は計測機も試験体も導線も、場合によっては人口密度でも微妙に観測データがずれたりするので、『あれ、ここまで合ってるのにこのあたりのプロット(点)異常じゃね?』と後から、主にレポート書いてる時に気づく場合も。
 それに気づくまで頭を抱えてうごごごとしているわけです。
 そういう時は考察で異常な値の原因は云々と書けば良いのですが、それが間違っているかどうかのデータが探しようがない(前の経験者がいない・教授に訪ねても自分で考えろ)時は……心が疲れます。

 こんな調子だから心配されるのかもですが、うん。


 ……そして現在。最近に戻ります。
 一緒に寝ることは少なくなりました。
 でも家に帰ってきたとき、まっさきに愛猫の名前を呼んで探して、ひしっとくっついて撫でてべたべたするのが日常で。
 夕食を食べているときにやってきて、好きなものがあったら欲しいなーと甘えん坊になるのもいつものことで。くっついて歩いてきて、料理するときも風呂に入るときも近くにいるのが当たり前で。

 けれど最期の時に近い日には、じっと座って私を見ていることがありました。
 自室に入る時です。鍵閉めて閉じこもって何かをする時ですね。
 まるで値踏み、いや、観察するかのような様子でじっと私を見ていた時がありました。
 部屋に入りましたが、どうしても気になって「甘えたいのかな?」と愛猫のところに戻って頭を撫でたら気持ちよさそうにして。

 それからまた自室に入ろうとしたのですが、またじーっと見てきていました。いつもはこんなふうにはしないのに。
 ……つまり、寿命を知っていて、私の愛について考えていたのかなと少し考えてしまいます。

 自室では愛猫を避けるように閉じこもるようになった自分。
 それはレポートとか教科書とかにマーキングされないためで、それが少し習慣みたいになっていたのもいけなかったと思います。


 要約すると、後悔の赤黒い炎が胸を焦がしています。


 飴風には旅行や買い物に行くと愛猫が喜びそうなものを見つけては買っていこうかとさんざん迷った末に買っていくのが習慣になっているのですが、それがお供えでしかできなくなって、ああ、もっと贅沢な思いをさせてあげられればと。
 帰ってきたとき、「ただいまー!」と、そのあとに続く言葉に詰まって、声を震わせながら愛猫の名前を呼んで、遺骨の前で手を合わせて「ただいま」と祈りなおす。
 居間で過ごすときはいつも愛猫といたから、どうやって過ごせばいいかわからなくなる。
 いつも閉じこもっていた部屋にいても、もう会えない、甘えん坊を満足させられない現実にうちひしがれて、実験の単位を全て取り終えた現在、全て終わったはずの現在、絶望をする。

 大学を卒業すれば生涯年収がアルバイトよりも圧倒的に高い!
 そんな高校や世間での常識という名の信仰に縛られ、何度も考えた中退と就職を断念してきました。

 ……けれど、意味がなかった。
 お金をたくさん稼げるようになっても、それで幸せにできる最愛の存在がいなければ、意味がないと。
 お金を稼げるようになるための準備期間に最愛の存在にめいっぱい苦労をかけて寂しい思いをさせて、その挙句に贅沢で幸せな思いをさせる前に失ってしまうのでは、すべてが無意味で自己満足でしかなかったではないかと。

 やりきれませんでした。
 最近、少しバイトをしていて、実験レポートや講義、課題に追われていて遠慮していた短期以外のバイトで稼ぐ学生のお金は結構多くて、それだけで愛猫に良い思いをさせられるほどのお金でした。

 ……もっと早く、気づいていれば。
 バイトで十分だったではないかと。中退してバイトでも正社員でも働いていれば、夜くらいは穏やかに愛猫と一緒に過ごせて、もっと長生きさせられたはずだったと……すごく、後悔しています。

 大人になったんだから、世間の常識なんかにとらわれずに最愛の存在のために尽くすことを選んでも良かったはずだと、すごく、後悔です……。

 人生の目的や目標は人それぞれ。
 ソクラテスの本を読んだときにも、自分にとって真に大切なもののために生きようと思ったはずなのに、別に病気で寝込んでもいないし、明日も大丈夫だろうと身勝手に過ごした結果が、このお別れでした。

連載再開と不滅の愛

 あとですね、愛猫の出来事の前夜です。
 じつは飴風、ひとつの長編を中止させることを宣言してしまったのです。
 そのときはもう無理だという思いが強かったのですが、翌朝の悲劇が起こって。そしていまになって、もしかしたら、神様が天罰を下したのだろうかと少し思っています。
 断腸の思いでの長編停止の翌日、愛猫が亡くなったんです。
 いけない、ことだったのかなと少し、考えてしまいます。

 それに蒼天のシルフィード、止めると決めたあとからどんどん書こうと思っていた話が頭でモヤモヤしていたりもしました。
 だけれど、長編の停止と愛猫のこと。

 ここで長編を止めたままにしたらいけない気がして。
 長編を書き続けて、ちゃんと結末にたどりつくことで愛猫との現実の物語も愛と絆と一緒に続いていくのではないかと、そんな思いもあって。

 だから、また止めた長編『蒼天のシルフィード』は再開しようと思います。不定期更新ではありますが、書くつもりです。
 もしかしたら書き続けることで、いつか自分の死後、ひどいことをした神様が仕方ないなと愛猫に会わせて幸せにしてくれるかもしれませんし……。
 いや、そんなことする神様なんてものがいたら一発殴らせて欲しい気もするんですが。

 でも、向こうで待っている愛猫のためにも、見守ってくれているんだから頑張らないといけないなと思いました。

 『枯れてなお花は 凛とそこに咲く』

 『辿りつく詩』の一節です。
 肉体という物理的な形は失われても最愛の愛猫は私の胸の中で、凛と座って寄り添ってくれている。見守っている。

 だから、終わらせないためにまた頑張ろうと思います。
 生きて自分が頑張れば、楽しそうに、そして美味しいお供え物をあげて、良い報告をたくさんしてあげれば、あの心配性の愛猫も安心して幸せに穏やかに見守ってくれるに違いないのですから。

 だからまた、頑張ろうと思います。
 蒼天のシルフィードのレトルト・フォレンスと共にもう一度、夢に手を伸ばします。